一生懸命やることができるということ
最近子供を見ていて思うのは
一生懸命やる、ということの時間や濃度が大人と違うなぁ。ということ。
レッスンでかぼちゃを選んで、さらにそこに顔を付ける、というアクティビティ!
正直それだけのことですが、子供としては
➀好きなかぼちゃを選ぶ
②ほかの子どもとかぶったら、譲り合う(あるいは奪い合う)
③顔に着けるパーツを選ぶ
④バランスよくテープではる
いってしまえば、これだけのことです。
横から英語を足してあげながら、リズムに乗って子供たちが
Eyes~♪ Nose~♪などといいながら(笑)やっていくわけです。
それだけで、指先に力を入れて一生懸命だったり、
どのボタンや葉っぱを選ぶかを一生懸命だったり、
自分の欲しいものを入手するために一生懸命だったりするわけです。
なんというか・・・・むしろ一所懸命?
時間的にはとても短い時間ですが、その時々に集中力が高まったり緩めたりしつつ、
一生懸命やってくれていると、先生としてはとても微笑ましい時間です。
大人にとっては、本当に短い時間。
でも、その集中の高まりを見せるようになると、あっという間に伸びていきます。
だんだんその集中時間が長くなり、深くなるイメージがあります。
その入り口として、楽しい、興味のあることを持ってこなくてはならない。
でも上手く楽しんでくれたら、一所懸命頑張ってくれる。
そして、五感を使って、それは記憶に残る時間となるのではないかと思っています。
小さな小さな赤ちゃんから始まり、
それなりに楽しく、それなりに参加してくれる子供は多いですが、
幼稚園に入るころの年齢から、この「一生懸命(一所懸命?)」差が表れてきます。
もちろん個人差があります。
この一生懸命度合いが表れてからが、主体的に、楽しんでいけるようになるのかな、と
勝手に分析しています!!
自分の子どもだと、その一生懸命っぷりが、「何に」現れるのかを必死で受け止め。
英語の生徒だと、その一生懸命っぷりが「どうやって」英語に繋げれるのかを必死で考える。
大人もいつまでも一生懸命ですね~。
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